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〜 脇田雄太コラム 第9回 〜 「ボロ物件を高値で売る日が来る?」

こんにちは!ボロ物件投資家の脇田雄太です。

2020年から続いた新型コロナウィルスの世界的なパンデミックが一段落し、日本国内に多くの外国人が観光で訪れるようになりました。

 

そんな状況の中、日本の不動産を買いまくる海外不動産投資家が増えていることが、話題となっています。

 

例えば、

・築50年の古いマンション

・北海道の観光農園

 

といった、10年ほど前までは注目されていなかった不動産が、盛んに取引されているとのこと。

 

では、なぜ海外の投資家が日本の不動産を買いまくるのか?

今回のコラムは、そんな日本の不動産市場の変化について少し考えてみたいと思います。

 

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円の価値はどうなった?
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海外の投資家が今、日本の不動産を買いまくっている!

その理由は、日本の不動産が海外に比べて割安であることに加え、昨年来の超円安傾向が、そこに拍車を掛けているからです。

 

例えば、コロナ禍直前の2020年1月における円相場は「1ドル109円前半」でした。

ところが、それから約3年半経った2023年8月では「1ドル144円後半」と、単純計算で、3割以上も安くなっているのです。

 

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20年以上のデフレがあった

 

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そもそも日本の経済は、1990年代に起きたバブル崩壊以降、20年以上に及ぶデフレマインドによって、モノの価値が上がるどころか、じりじりと目減りを続けていました。

「徹底的なコストカットで、より良い商品を安く製造する」。このこと自体は、決して悪いことではありません。

しかし、そのスパイラルが続いた結果、商品を作っている製造者や原材料の生産者が疲弊してしまい、市中にお金が回らなくなってしまったんですね。

 

そこに、抜本的なメスを入れたのが、2013年以降の「アベノミクス」です。

 

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日本の不動産は安過ぎる

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異次元の金融緩和によって、日銀が市中にお金を流通することで、「デフレ経済からの脱却」を目指した結果、長く低迷していた日本経済は、徐々に立ち直ることとなります。

 

しかし、そんなアベノミクスにおいても大きく変わらなかったものが、不動産の取引相場でした。

海外の不動産がインフレでどんどん高騰する中、日本の不動産だけが過去のデフレマインドから脱却出来ていなかったのです。

 

そこに、冒頭でもお話しした超円安が襲いました。

その結果、「海外不動産の取引相場に比べて、日本の不動産はあり得ないほど安い」という認識が広まり、多くの外国人投資家が日本の不動産を買いまくるという現象が起きてきたのです。

 

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キャピタルよりインカム

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さてここで、話題をボロ物件投資に戻しましょう。

 

急速な少子高齢化によって、地方の不動産は以前に比べてその価値を大きく落としています。

札幌や福岡といった地方の大都市であればともかく、人口が減少している地方都市では、タダでも買いたい人がいないというボロ空き家が、それこそゴロゴロしています。

 

私たちボロ物件投資家はそのような物件を格安で購入し、リフォームで再生させ、高利回りで賃貸に出すことで、安定した利益を上げて来ました。

逆に言えば、賃貸収入で利益を上げるインカムゲインだけに焦点を当て、物件の売却で利ざやを稼ぐキャピタルゲインにはあまりフォーカスしていなかったんですね。

 

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脚光を浴びる日が来るのか?

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しかし、その流れも今後、外国人投資家の参入によって大きく変わることに

 

なるのでは?と、私自身は考えています。

例えば、長崎のような風光明媚かつ歴史的な観光都市では、以前から大型客船が来航して、多くの外国人が観光で訪れています。

 

今後、さらに多くの外国人が訪れるようになれば、

・長期滞在目的で家を借りる

・別荘として家を購入する

ケースも、当然増えることになるはず。

 

そこに、リフォームを施したピカピカのボロ物件を提供すれば、

・より高い家賃で貸せる

・高値で物件を売却出来る

チャンスも、大いに増えるのではと考えています。

 

 

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今から良物件を仕込んでおく

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実際、私自身もこれまで賃貸目的では検討していなかった、「郊外の海が見える物件」などを、積極的に探すようにしています。

「10年後20年後の将来を見据え、今から良質な物件を仕込んでおく」

そのような目線が今後、より重要になるかも知れませんね。

 

今回はこのへんで。

 

脇田雄太でした。

 

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